1905年に始まる 「革命・ロシア・政治」

ロシア第一革命期には全国女性同権同盟などの組織が結成されて男女平等を要求する運動を展開する。

1917年の二月革命が首都ペトログラード(サンクト・ペテルブルグ)の女性労働者たちのストライキと「パンよこせ」デモから始まったことは周知だが、二月革命後、女性も参政権を得た。

1917年10月(新暦11月)社会主義革命(十月革命)が成功すると、新政権はただちに完全な男女平等を宣言し、男女同一賃金などのほか、離婚や妊娠中絶の自由、母性保護などの諸方策をとった。

ソビエト連邦が成立した20年代には女性解放が著しく推し進められた。

家族消滅論が時代の思想になっており、家事労働からの解放や真に自由な結婚の形態などについて真剣な討論があり、家事・育児の社会化の主張や性的関係は国家や法に規制されるべきものではないという発想にたつ事実婚の提唱がコロンタイらによって試みられた。

しかし、こうした主張には農村からは大きな抵抗があった。1930年代以降、スターリン体制確立のなかで「家族は社会主義社会の細胞である」として家族強化論が打ち出され、妊娠中絶の禁止(1936)、離婚の制限(1944年の家族法では、新聞での離婚広告を義務化する離婚広告制と、多額の罰金制が制定された)、多子母への国家奨励金などの政策がとられた。

社会主義ソ連では女性解放は達成され、女性問題は存在しないというのが公式見解となった。

大粛清と第二次世界大戦のこの時代は女性たちにとってつらい時代であったが、過酷な労働に耐え、家族と国家を守るために力を発揮した。
update:2009年08月23日